この度、古舘知都選手が今シーズンをもって現役を引退することとなりましたのでお知らせいたします。
|プロフィール
MF 6 古舘 知都(ふるだて ちと)
生年月日:1997年12月26日(26歳)
出身地:岩手
加入年:2021年
選手プロフィール:https://orca-kamogawafc.jp/player/furudate-chito/
|コメント
この度、引退する決断をいたしました。
まずはじめに、亀田総合病院をはじめとするスポンサーさま、サポーターの皆さま、ファンの方々、オルカフレンズの皆さま、ORCAS☆のチアガールちゃんたち、2024シーズンもオルカ鴨川FCをご支援いただき、応援していただき、共に戦っていただき、本当にありがとうございました。
20年間のサッカー人生のスタートは、大大大すきな兄を追いかけて、兄が所属していた岩手県の城南FCに入団したのが始まりです。
その城南FCは、途中からグルージャ盛岡になり、グルージャ盛岡ジュニアの1期生として小学6年生まで所属しました。
中村学さんには足元のテックニックや、明るく楽しく、周りに溶け込んでいけるようなサッカーをすることを教わりました。
女の子がひとりだったので、気にかけてくれていたんだと、今では思います。
中学に入学してからもグルージャ盛岡ジュニアユースとして中学3年生まで、お世話になりました。
当時は、女子サッカー人口がまだまだ少なく、女子チームがなかったため男の子の中でずっとサッカーをしてきました。
中学に上がってからは、水沢ユナイテッドFCプリンセスという女子チームにも所属し、佐藤則久監督から、サッカーの楽しさとチームで戦っていくことの大切さを学びました。
2チームの掛け持ちで、サッカーづけの毎日を送っていました。
どちらの練習場も実家から離れていたため、私の学校が終わってから、平日はお仕事終わりの母が、晩ご飯のお弁当を作ってから送迎を、仕事が休みの日には、父が送迎をしてくれました。
初めて地元を出て、常盤木学園高等学校に入学しました。
サッカーが上手で、サッカーが大好きで、サッカーと向き合うことが得意で、生活の中でサッカーについて考えている時間がいちばん長くて、闘争心に溢れている。そんな、サッカー少女たちしかいないチームの中で、チームメイトと阿部由晴先生と、毎日練習をし、生活を共にしていました。
毎日が刺激的で、勝つことにこだわることの楽しさも、負けること、失敗することの怖さや悔しさ、もどかしさも、サッカーで感じるすべての感情を、ここで味わいました。
阿部先生は、「日本女子サッカーのレベルの底上げをする」ということを高校生の私たちに伝え続けてくれました。
そのための、心の在り方を移動のバスの中で、毎日聞かせていただきました。
「物事の本質を見極め、決してぶれない自分を創り上げていく。」
「当たり前のことを、ばかになってちゃんとやる。当たり前のことを確実に積み上げる。」
阿部先生からは、サッカーだけでなく、サッカー選手の在り方、成功者の心、人間性の大切さを学びました。
常盤木学園で過ごした3年間は、阿部先生の持っているものや考えを全て教えていただいた、特別な時間でした。
高校を卒業し、AC長野パルセイロ・レディースに4年間所属しました。
入団したのはWEリーグができる前の、なでしこリーグ2部から1部に上がった年。
ここから、私のなでしこリーガーのキャリアは始まりました。
試合にしっかり絡めるようになったのは、4年目の最後の年だけでした。
本田美登里監督は、試合に絡めていない時期にも、練習試合の映像や、私が出ていない試合でもヒントとなる映像を切り取って練習の後に見せてくれて、ご指導くださいました。私ひとりではなく、すべての選手に向けて切り取った映像を個別で作成してくださっていました。
パルセイロでの試合に絡めなかった時期は、サッカー人生で一番涙を流した気がします。
それでも向き合っていただき、泣き虫!と笑いながらコミュニケーションをとってくださり、どんな状況にいても、絶対に見離さないでいてくれた美登里さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。
ジェフユナイテッド市原・千葉レディースへ初めての移籍。在籍は、1年間だけでした。
オペをし、移籍後すぐにはプレーをすることができない私を、快く受け入れてくださったチームに深く感謝いたします。
怪我が治り、フィールドには途中合流となった私に対しても分け隔てなく接してくださった、猿澤真治監督にも感謝の限りです。
大好きな「ジェフ」という歴史のあるチームで、大いに活躍し、爪痕を残したかったというのが正直な気持ちです。
出場機会を求め2度目の移籍を決めた先が、ここ、オルカ鴨川FCです。
オルカに入団することを決めた後に、小川貴史監督就任のお知らせを受け、驚きました。
おがさんとは、直接のご指導は受けていなかったものの、グルージャからパルセイロと、私と同じクラブにいたこともあり、知っている方が監督になることに、嬉しさと多少の違和感があったのを覚えています。
守備が苦手だった私に、球際での強さ、迷わずプレスに出ていくタイミング、デュエルに勝利することの楽しさを教えてくださいました。
苦手だと思っていたことが、今では長所と言えるぐらいまでに引き上げてくださいました。
おがさんのお力添えがあり、目に見えて成長することができ、自分の伸び代を知ることができた、サッカー人生においてのターニングポイントとなる1年でした。
オルカ2、3年目は、野田朱美監督でした。2年目、始動から少し経った頃、思わぬ病気をしてしまい、療養とリハビリで過ごす1年でした。
3年目、何の縛りもなくサッカーができることへの喜びはとても大きく、野田さんの指導のもと、サッカーの面ではもちろん、気持ちの面でも高い強度の中で、毎日プレーができました。
良いときも、悪いときも、正面から真っ直ぐぶつかってきてくださる野田さんに、「優勝の瞬間に連れて行ってあげたい」と思うようになりました。
スタッフ、選手みんなの気持ちが、同じ方向に向かう日々に、とてつもなく「チーム」を感じていました。
2023年、オルカ鴨川FCを優勝に導いてくだった野田さん。野田さんでよかった。
初めて味わう感情に、それ以外に当てはまる言葉がありませんでした。
なでしこリーグ1部で優勝を経験できたことは、私のサッカー人生での宝です。
最後となるオルカでの4年目、辛島啓珠監督のもと、数多く試合に出場しました。
個人としても、結果としても良いシーズンだったとは言えないですが、サッカーについて自分たちで考えることや、若手が多くいる中でのベテランとしての在り方など、サッカーだけでなく、「視野を広くして考えること」を身につけられた1年でした。
私に関わってくださいました、すべての指導者のみなさまに心より感謝申し上げます。
そして、大好きな家族へ。
サッカーをするきっかけを作ってくれて、お家の前で一緒にサッカーをして遊んでくれた兄、夜遅い練習も送迎をしてくれて、栄養満点のご飯を朝昼晩作ってくれた母、試合の分析や毎日のマッサージをしてくれた父、家族に十分過ぎるほど支えられてきた20年間。
本当にありがとう。
これからは、私に恩返しをさせてね。
4年も過ごした、このオルカ鴨川FCで引退のリリースを発表できることを嬉しく思います。
青い練習着を着て毎日練習へ行き、毎週末は青いユニホームを着て試合をする。
4年間も続けてきたのに、飽きることはありませんでした。
オルカブルーは、私の誇りです。
私たち選手に、「オルカ」を背負わせていただきありがとうございました。
20年間のサッカー人生を振り返って思うことは、「感謝」のひとことです。
本当に、ありがとうございました。
お世話になりました。
12/07Sat
2024
古舘知都選手 現役引退のお知らせ
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